ストリートファイター暗殺拳


暗殺拳を修行する男たちのお話。テレビゲーム原作の実写版。1980年代のストーリー(剛拳師匠のもと、リュウとケンが修行)を軸に、1950年代のストーリー(轟鉄師匠のもと、剛鬼と剛拳(←のちの剛拳師匠)が修行)を織り交ぜながら進行

ながれ

1:1980年代日本・和歌山、剛拳の道場。暗殺拳の師範・剛拳は究極の技「波動」を弟子であるリュウとケンに教えるべきか悩んでいた。
リュウとケンに嘆願されたこともあり、結局剛拳は宗家・轟鉄の墓のある静岡の道場でリュウとケンに「波動」を教えることに。

2:その道場でケンは「殺意の波動」なるものを記した伝書を見つける。しばらくしてケンに「殺意の波動」について問われた剛拳師匠は「殺意の波動」は危険で決して使ってはならないものだと説明、ケンも承諾。

3:(回想パート:1956年、剛拳師匠の青年時代。若き日の剛拳は、弟・剛鬼とともに師匠・轟鉄のもとで修行していた
しかし剛鬼は禁じられた「殺意の波動」を轟鉄師匠の目を盗み会得しようとしていたことを問われ破門される。

4:ケンの父親が来日、ケンにアメリカへの帰国をうながす。並行してリュウが不吉な夢を見るなど、リュウのメンタル面の不安定さを示唆する演出。

5:剛鬼が剛拳のもとに現れ宣戦布告、2人は近日中の決闘を約束。

6:(回想パート:{3:}で破門された後の剛鬼の修行、修行を終えた剛鬼が轟鉄と決闘。剛鬼が勝つ。

7:(回想パート:轟鉄師匠を失い、その仇を討てなかった剛拳の失意の日々から武者修行に出かけるまでのいきさつ

8:リュウとケン、「殺意の波動」に頼ることなく暗殺拳を習得、最終修練の組み手。しかしそこでリュウは知るはずのない殺意の波動を発動。何故リュウ殺意の波動を?的な伏線の演出。

9:リュウ殺意の波動を剛鬼が感知、剛鬼はこれを剛拳からの決闘の布告とみなす。

10:剛拳殺意の波動を秘めたリュウに一抹の不安を残しつつもその不安をケンに託し二人を武者修行に送り出す。

11:道場に残った剛拳のもとに剛鬼が訪れ、二人の決闘が始まり・・・

おちまい

エンドロール・・・

の後、リュウとケンがサンフランシスコに到着、武者修行が始まる。的な描写


かんそう 20点

(※自分はストリートファイターズはゼロまで、フルコンタクト空手黒帯)

内容的には仰々しくしようとしてハズしちゃったカンジ。面白くないし深くもない、暗いやら地味やらでいいとこなし。(もし自分がゲーム好きならもう少し好意的に見れたのかもとは思うが逆にいうとゲームに興味なければ見ていて苦痛なレベル。)

ゲーム感覚のアクションものだと思ってたので余計地味に感じた。武道を通じた精神論や人生観も見当違いに感じた。

そもそも「暗殺拳」なのに「殺意の波動はダメ」とか、「感謝の気持ちがどうこう」とか理解に苦しむ。せめて「活殺拳」ならよかったのだが。まあ原作が「暗殺拳」だからそこはいじれなかったのだろうが・・

映画「ハイランダー」みたいなものが作りたかったのかな。「武士道、騎士道」など、強さと精神のバランス、心のありかたの表現ならスターウォーズ5・6のジェダイのほうがよっぽど共感できる。

ビジュアル的にはケンの役者さんがハマりすぎちゃってリュウが痛かった。もっと目のクリクリしたカワイイ系でアクションができる役者さんはいなかったのか・・

型(構え)がカッコ悪すぎる。とくに剛拳。カンフーっぽい。原作を踏襲しているにしてもいただけない。

リュウとケンの役者さんは蹴りメインの流派なのかな?体幹がすばらしいとは思ったが突きのほうはびっくりするほどお粗末。

続編に含みをもたせて終わるのだが、こんなんでスポンサーつくのかな。

自主制作の作品らしいから、役者はともかくとして、監督・脚本さんはまだまだ発展途上のはず。今回の失敗を生かしてマニアでなくても楽しめる作品を作ってほしい


なんとなく考えさせられた言い回し

剛鬼「全てを失った俺の苦しみがおまえにわかるか!」

剛拳「俺はおまえに全てを奪い取られた!」

まあ剛鬼がすべて悪いんですが。


あと、「師範の中の師範になるために俺は努力した!」っていう剛鬼のセリフがあるんだが。

人によると思うが、「師範の中の師範になるために努力」より、「真の格闘家になるため」とか「真の暗殺拳の使い手になるため」とかのほうがしっくりくるかな。「師範の中の師範」って、剛鬼が言うセリフとしては違和感がすごい。



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