西郷どん 第46回 「西南戦争」 感想


第46回 「西南戦争

◎かんそう

○問答無用
西郷隆盛とも大久保利通とも旧知の仲の政治家・大山某が政府に逮捕される、大久保と面会した大山某、大久保利通を問いつめる。

大山某「なんで西郷の話を聞いてやらない、なにがあった、なにを考えてる!」

(´A`)<これに「大久保利通がどう答えるのか」で今作の大久保の立ち位置(結局善人キャラなのか悪人キャラなのか)が、ワカル!

(´A`)<そう思ってみてた。(もっと言うと「ここで大久保がおためごかしを言って「大久保も辛いんだ・大久保にも事情があるんだ」みたいな善人ENDにもっていくんだろう」と思ってた)

で、その大久保。めっちゃ冷たい口調冷たい目で言い放つ。「西郷は友達だけど今はカリスマ犯罪者だ。カリスマ犯罪者が生きてるとチンピラ犯罪者が増幅する。だから殲滅する」

(´A`)<んー・・・「なんで大久保は西郷と腹を割って話さないのか・何を考えているのか」の答えになってないなあ。

そんな俺の思いを大山某が代弁。大山某「話をそらすな!俺がききたいのはなんでお前が変わってしまったのか、おまえに何があったのか・ってことだ!」

(´A`)<そうそう、そういうことですよね大山さん!

で、大久保。「西郷軍を殲滅する。そうすればもう日本に戦争は起こらないだろう。政府はそう判断した」

(´A`)<またもや答えになってない。聞きたいのはそこじゃない。聞きたいのは「なんで西郷と向き合って話さないのか、大久保が何を考えているのか、なにか事情があるのか」なんだよ!

(´A`)<そうでしょ大山さん!言ってやってください、「聞きたいのはそこじゃない!」って、もう一回言ってやってくださいよ!

しかし大山某が言ったのは「政府の決定?違うだろ、それはおまえが決めたことだろ!」という、ブレた返しだった・・・

それに大久保が答える。「俺が政府だ。」

ここで大山某が「ダメだこいつ・・・」と思ったのかしらんが、やりとりはここで終了。

結局、「西郷の目的が戦争じゃないとわかっているのに西郷と戦争する理由、西郷の話を聞いてやらない理由」は言及されませんでした。


(´A`)<うーん・・・とりあえず大久保を「実はいい人END」にしない方向なのはわかったけど、会話は消化不良でした。

(´A`)<でも前回45話で「俺が吉之助さぁと話に行く!」→「ダメだ、あなたになにかあったら国がメチャクチャになる」→大久保、あきらめる、みたいなやりとりがあったから、このときに大久保は西郷との対話をあきらめた・ってことなのかな。それだと「俺は政府だ」→「俺は政府の代表だからしかたないんだ」って解釈はできるな。

(´A`)<それでも「だからもう一切の対話をしない」っていうのはとても理解できんが。

(´A`)<まあそれはおいといて大山某の役者さんはすごくよかった。有名な役者さんなのかな?大河常連になってほしい!



島津久光は実際どうだったのか?
政府からの使者・柳原某にむかって「改心すべきは西郷ではなく政府では?」などと、ドラマでは政府に食ってかかってた島津久光公ですが。

(´A`)<史実ではどうだったのかちょっとググッてみた。

実際のところは//鹿児島県の西郷が武装蜂起・西南戦争勃発→鹿児島県の超有力者・島津久光がもしも西郷に援助・協力したらやっかいだと考えた政府が勅使・柳原某を鹿児島に派遣、上京を促す→島津久光は「自分はあくまで中立ですよ」と表明→自分の代わりに自分の子供を京都に派遣→自分は戦火を避けるため桜島に一時避難した//だそうで。

(´A`)<ドラマのやりとりは創作っぽ 。ようは「政府は嫌いだけど西郷も嫌いだった」・ってとこかな?


桂小五郎(=木戸孝允)は実際どうだったのか
政府要職にありながら志半ばで病没した桂さん。ドラマでの最期の言葉は「西郷クン、ええかげんにせえ」というものだった。とのことですが。

(´A`)<史実ではどうだったのかちょっとググッてみた。

実際のところは//新政府に否定的な鹿児島県と西郷を桂小五郎は批判していた→1877.西南戦争勃発、桂小五郎が西郷軍征討の任にあたりたいと希望(周囲に止められ断念)→政府軍が鹿児島へ、桂小五郎は京都まで行く→ かねてから重症化していた胃ガンが悪化→危篤、朦朧状態の中、大久保の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか!」と、明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後に死去。享年45(満43歳)//だそうで

(´A`)<最期の言葉、史実でした。勉強になった。

(´A`)<マジメを地でいく男の最期の言葉がまさかのツッコミ・「いいかげんにせい!」とは。

(´A`)<実はお笑い好きだったのカナ?

(´A`)<んなわけないやろ!

(*^ω^*)<ちゃんちゃん☆


◎今週の「命かけもす」宣言

今週の命かけもすは

(´・ω・`)<ナシよ


---覚えておきたい使える言い回し---

中村半次郎の言葉(史実ではなくドラマの話ね)
絶望的な最終決戦を控えて、「自分も戦う、自分も西郷と一緒に戦って死ぬ!」と、いきまく若い兵隊に向かって・・・

(´A`)<俺なら「おまえらはまだ若い・命を粗末にするな」とか、超ベタな言い方になりそう。だが、中村半次郎は・・

中村「おまえらみたいな若造が俺たちと一緒に死のうなんて百年早い、足手まといじゃ!」

(´A`)<的な言いまわしをしてました。カッコE!

(´A`)<トドメに西郷が「諸君らの新しい知識を新しい日本のために使うこと。これは命令だ。」的な感じで優しく諭すという。

(´A`)<完璧な連携プレーですな

(´A`)<「ダメだダメだ、ついて来るな!」なんて怒鳴ったら逆に「いいえ!絶っ対ついていきます!!」みたいな流れになっちゃう可能性があるからこういうノリの対処にはきをつけないとね。


◎おまけパート

田原坂(たばるざか)・三の坂:○弾痕の家(復元)
//西郷軍と熊本鎮台との武力衝突によりはじまった西南戦争の最大の激戦地//一帯は西南戦争の古戦場として国の史跡に指定されている //政府熊本軍の応援にかけつける中央政府軍を西郷軍がここで迎え撃った//激戦は17日間に及んだ//一日に32万発もの銃弾が飛び交ったといわれ当時の銃弾が今も発掘されている
//

※同地に因んだ民謡
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ 田原坂
右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かな 美少年
春は桜秋ならもみじ、夢も田原の 草枕
草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 秋さびし

○延寿寺:○西南の役薩軍戦没者墓碑
//野戦病院のひとつ//850人余りの兵が埋葬された

---宮崎県.延岡市--
西郷隆盛宿陣跡資料館
政府軍に追い詰められた西郷はここで解散布告令をだした//

西郷菊次郎加療の地
西南戦争で負傷した西郷の庶子・菊次郎が療養した西郷軍本陣の近くにある家

○西郷軍可愛岳突囲口
敗走し鹿児島を目指した西郷が600人余りの兵を連れ踏破した山

○行きたいレベル・B
微妙。このドラマで少し興味わいたけど、熊本や宮崎まで行く機会あるなら他の場所が優先かな。

(´A`)<なんといっても熊本には行きたいレベルSSSの熊本城があるしね


◎覚へ書き---1877年・主人公49歳---

○歴史パート:
○1877.西南戦争(=西南の役)(●西南戦争○日本政府vs鹿児島県●in1877.九州各所(熊本県大分県・宮崎県・鹿児島県))
熊本県大分県・宮崎県・鹿児島県において、西郷隆盛を盟主にして起こった武力反乱。
//西郷隆盛が鹿児島で学校を開設。学校の規模が大きく本格的だったので中央政府から(国に反乱をするための組織では)と疑われる//国が鹿児島県に保管してある武器や火薬を県外に持ち出そうとし鹿児島県ともめる//国が鹿児島にスパイを送る→鹿児島にバレる→スパイに拷問し「西郷を殺すつもりだった」との言質をとる//「政府のやりかたはおかしい・これを問いただす」を大儀に挙兵、東京へ向かう//政府熊本県軍に抗戦され開戦し中央政府軍がこれに加わる//鹿児島軍劣勢。退却を繰り返し最終的に解軍。これにより鹿児島兵に降伏するものが相次ぐ//それでも残った兵や幹部1000名が鹿児島へ戻り徹底抗戦//政府軍が鹿児島軍残党を包囲、殲滅//

○1877.5.26.桂小五郎(=木戸孝允)死去
1877.西南戦争勃発。西郷軍征討の任にあたりたいと希望(周囲に止められ断念)//政府軍が鹿児島へ、桂小五郎は京都まで行く// かねてから重症化していた胃ガンが悪化//危篤、朦朧状態の中、大久保利通の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか!」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後に死去//享年45(満43歳)//

○ドラマパート:
//西郷たちは元・武士(=士族)たちの窮状を政府に直訴するため軍隊を構成し鹿児島県を出発、東京に向かう//政府が天皇名義で「西郷は悪の賊軍」と認定し公表。鹿児島県の「話がしたい」という目的はあたまごなしに拒否され国の軍隊すべてが鹿児島県の敵となる//熊本城の手前で戦闘が勃発(●西南戦争(○日本政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県))//西郷軍劣勢、西郷の弟(四男・小兵衛)が戦死、庶子・吉次郎も片足を失う大怪我//西郷軍は進軍を断念、撤退//鹿児島県の島津久光のもとに政府からの勅使。「西郷に降伏するよううながせ」→島津久光これを拒否//桂小五郎、死去。最期の言葉は「いいかげんにしないか!」だったという//鹿児島県知事・大山綱良が「西郷の後援をした等」の罪で極刑となる//2万いた兵が3千5百まで減る→さらに撤退する西郷軍→西郷、ついに軍を解散する(解散布告令)//政府軍が西郷家を保護(を口実に連行?)しようとするも西郷の妻がこれをつっぱねる//物資補給のために鹿児島にもどった西郷軍の幹部に無理を言って西郷の妻が戦場の西郷のもとへ//西郷、妻と最後の逢瀬//つづく


◎おべんきょう

○じんぶつ(○→メジャー:△→マイナー:×→無名)

×柳原前光(やなぎはらさきみつ1850-1894):公家(大正天皇の伯父(妹が大正天皇の母))・伯爵:(ゆかりの地→??)
//公家・柳原某の子//18歳・ 東海道鎮撫副総督となり山梨県の防備を勤める。明治維新後は外務省に入省(戊辰戦争(○明治新政府vs徳川旧政府●in1868.日本各地)//21歳・中国で日清修好条規を締結する(-日本-中国-.in1871)//27歳・鹿児島県の元武士が武装決起。問題解決のため鹿児島県の有力者と会談(西南戦争○明治政府vs鹿児島県●in1877.鹿児島県)●←イマココ //その後も政界で活躍、法曹審議に従事し、多くのコムツカシイカタガキ職を歴任//44歳・死去



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